病魔に引き裂かれた幼心は
広君が小児麻痺で右足を使えなくなったのは小学校四年の時でした。
仲良しの友が病魔に
私と広君は同い年で幼い頃からの遊び仲間でした。二人とも野球が好きでキャッチボールをしたり、プロ野球は共に阪神フアンで好きな選手の写真や色んなグッズを集めて自慢しあったりしました。将棋も好きで何時も駒を袋に入れて持ち歩き、地面に将棋盤を書いて日の暮れるまで勝負を競ったことも度々でした。川で魚を取ったり、山でメジロを捕獲して飼ったり、「竹ひご」で鳥篭をつくったり何時も一緒に楽しく遊んでいました。
その日も一日一緒に川に入って魚を追いかけて遊んだのですが、夜になって広君が高熱を出し入院したのです。広君の病気は小児麻痺でした。何ヶ月かの闘病の末、退院して来た時は右足が動かなくなって松葉杖にすがる変わり果てた姿になっていました。
幼い心の苦しみ
そんな広君の姿をみて私は何故か怖気づいて近寄れませんでした。何と言って慰めてやればいいのか、どんな優しい言葉をかければいいのか、何をしてあげればいいのか幼い私には解りませんでした。と言うか、広君だけがこんな姿になったことに私は申し訳ないというか、罪悪感のようなものさえ感じていました。広君のお母さんは自分の息子の不幸を嘆き、私のことを妬ましく思っているかも知れない。きっとそうだ。「○○ちゃんは一緒に遊んでいたのに何でもなくて良かったね。」と言われるその一言さえ私の小さな胸にグサリと突き刺さりました。母は口には出さなかったけれど「○○が無事で良かった」と内心思っていたに違いありません。
私が勇気を出して明るく声をかけて、今まで通りに接していけば良かったのでしょう。だが私には何故かそれが出来なかったのです。私は部屋に閉じ篭り独りで泣きました。不甲斐ない自分を責めていました。学校に行けば先生やクラスメートがみんな広君に同情し、反面私を冷たい目で見ているように思えて来るのでした。もう一つこんなに痛んでいる小さな心があることを誰も気づいては呉れません。こうして私は独りで自分だけの殻に閉じ篭るようになって行きました。
閉ざされた心のまま別れ
広君は近所で一つ年上の清さんに自転車で送り迎えをして貰い、雨の日も風の日も休むことなく学校に行きました。だんだん元気を取り戻し級友達とも仲良く話したり遊んだりするようになりましたが、私には近づいて声をかけることも無くむしろ避けているようにさえ見えました。
中学校を卒業する時、清さんは広君を毎日自転車で送り迎えして通学を助けた善行に対して特別表彰を受けました。みんなが大きな拍手を送り、私も本当に清さんは大変なことをよくやり遂げたと思いました。しかし直ぐ、思い過ごしかもしれないけれど私に対しては非難の声と罵倒が浴びせられているように感じてしまうのでした。
清さんが卒業して居なくなったので、今度こそ私が代わってやる番だと思って勇気を出して申し出たのですが、あっさりと断られてしまいました。広君は「もう自分の力で生きていく訓練をしないといけないから」と一人で家を早く出て登校し始めました。それは事実で素直に取ればよかったのでしょうが、私には拒絶されたという思いが重く圧し掛かってきました。周囲から「あいつ二匹目の泥鰌を狙ったな」と囁かれているようですごく嫌な思いをし、止せばよかったと後悔することになったのです。こうして二人の仲はどんどん遠く離れて行くのでした。
広君は中学校を卒業すると大阪の印刷会社に見習い工として就職し、私は高校進学のため家を出て町の下宿に入り、さらに大学進学のため東京へ来てしまい、音信は完全に途絶えてしまいました。
歳月は流れ再会
十数年の歳月が過ぎて、私は結婚し次々と子供ができて裕福ではないけれどまずまず人並みの家庭を持ってささやかに暮らしておりました。そんな私の家にある日突然、本当に突然松葉杖をついた広君が訪ねて来てくれたのです。全く予期せぬことだし何のもてなしもできませんでしたが、驚きと喜びとで私の心はてんやわんや、何を言ったのか、何をしたのか覚えていない程でした。はっきり言って私はもう少年時代のことは忘れてしまっていましたし、広君のこともすっかり忘却の彼方でこんな日を思ったこともありませんでした。なのに広君は私のことを覚えていてくれて、不自由な体で大阪からわざわざ東京まで訪ねて来てくれたのです。
私も苦しんだけれど、広君もきっと同じように苦しんでいたのだと思います。私の苦しみにもきっと気付いていて、長い年月を経て今、言葉にはしないけれど広君が「お互いもう止そうよ。子供の頃の仲良しに戻ろうよ」と言ってくれたのでしょう。勿論私も無言で答えました。「うん、楽しかったね。野球は負けても将棋は負けないぞ」と。
苦しんだことなどもうどうでもいいんです。広君と心を開き合えたことが今とても嬉しいから・・・
久し振りに美味しいお酒を飲みました。嗚呼人生・・・喝采
とても素敵なお話をきかせていただきました。
大人になって一緒にお酒を飲めてよかったですね!
by (2005-11-09 16:58)
お互いに苦しんで、相手の事をたくさん考えたからこそ
時を経てこうやって、素敵な時間を過ごす事ができたのですね。
私まで最後にホッとして、嬉しい気持ちにさせていただきました。
by スペシャルエアー (2005-11-09 23:19)
sasukeさん、優しすぎちゃったのですね。
広さんも、きっとそれがわかってらしたんでしょう。
ほんとに良かった・・。
by ぱんだぞう (2005-11-10 11:27)
私は子供の頃、身体の不自由な人を見て、はやし立てていました。
今思うと・・・そのツケはこの人生で必ず払わなければならないと思います。
by Baldhead1010 (2005-11-10 13:36)
仕事の都合で、しばらくの間、訪問はnice!だけにさせていただきます。
by ziziblog (2005-11-10 16:51)
★すずめさん
有難うございます。初めて一緒に飲みました。感無量でしたね。
★スペシャルエアーさん
子供の頃のことで、もう忘れていたんですが楽しかった頃のことを思い出しました。よい思い出までも忘れようとしていたのかもしれません。よかったです。
★ぱんだぞうさん
優しいことは優しかったんですが、気が弱くて泣き虫だったんですよ。広君も優しい子で本当に仲良しだつたんです。あのままだと子供の頃のいい思い出まで捨ててしまうところでした。
★Baldhead1010さん
元気のいい子はそんなもんでしょう。要するに弱かったんですね。
★ziziさん
お忙しいのに恐れ入ります。有難うございました。
by sasuke (2005-11-10 19:36)
お久しぶりです。
記事に対しては、なんて書いてよいか思いつきません。
きっと経験が無いからでしょう。
でも、仲良くなれた事は、本当に良かったと思います。
by まめ (2005-11-14 00:59)
まめさん お久し振りですね。有難うございます。後日談があるんですがとりあえずは良かったです。
by sasuke (2005-11-14 16:18)
こんばんわ コメント遅くなりました。
久しぶりに会えた幼友達 いいですねぇ。
子供の頃の友達はいいものですねぇ。
特にいっしょに遊んだ友達は、)
sasukeさんのこういう話しはいいなぁ~。
by (2005-11-15 21:15)
Yupaさん
有難うございます。幼い頃は本当に仲良しだったのに何処かで歯車が狂ってどうしょうも無かったのに、長い時が過ぎていとも簡単に仲直りできたんです。時が全てを流してくれたんでしょうか。年をとったのか、不思議と素直に受け入れられ、穏やかな気持ちになれました。
by sasuke (2005-11-16 12:57)
子どもの頃にありそうなお話ですね。でも、長いトンネルを抜けたような気がするお話です。
元気になれますね。ありがとうございます。
by (2005-11-26 11:36)
あらためて読ませていただきました。
私の心はsasuke さんのように清らかではないけれども、そして、このように重いものではないかもしれないけれど、やはり同じような気持ちがよみがえってきます。
そして、その一つ。長い長い年月、年賀状という形で結ばれていました。小学校唯一の年賀状の友。そして、今年もっと近づけたのに、彼がその道を開いてくれたのに、私はなぜか彼を遠ざけようとしている。それはなぜだか分からない。そうする自分が分からない。でも、確かに遠ざけようとしている自分がいる! 悔しいほど醜い自分がいます。
by ziziblog (2005-12-01 10:48)
ziziさん あらためて読んで頂き心より感謝致します。実はあまり長くなるので一区切りをつけましたが、この後があり今も自責の念にかられるひどいことをしてしまったのです。もうわだかまりは無かったのに私の方から遠ざけてしまい、その数年後に広君は独り淋しく死んでしまいました。一時は幼い頃の思い出とか話ができても、現在の立場とか境遇とか、住むところが違ってきていて共通する話題もなく結局は疎遠になってしまいました。年賀状の一枚でも書いて慰め励ましてやればよかったと悔いています。ziziさん醜いなどと言わないで下さい。私も同じことだったんですよ。
by sasuke (2005-12-02 19:14)